傍観からコミットメントへ 家入一真と妊婦をめぐる振込祭り騒動
傍観からコミットメントへ。21世紀が引き起こした社会の変化を一言で言い表すと、こういう表現ができるかもしれない。
劇場型アイドルという新たな形態を生み出したAKB48やももいろクローバーZはその典型的な例だし、ニコニコ動画が産んだネット上の多様なコミュニティはニコニコ超会議というリアルの場に姿を変えた。音楽業界はCD不況を打破するために、音楽をCDというパッケージで売ることからライブにファンを巻き込み物販で稼ぐモデルに軸足を移しつつある。
インターネットによって情報流通やコミュニケーションのコストは大幅に低減した。その結果、情報・コンテンツの価値は相対的に低下した。誰もが情報を発信できる手段を得てた。価値ある情報を発信できる能力や蓄積を持っていればマスメディアを経由せず、自らがメディアになれる時代だ。
それは受け手にどのような変化を与えたのだろうか。一言で言えば、情報の受け手は「コミットメント」への欲求の高めていった。みな、何らかの出来事に自分を巻き込みたがっている。事件の当事者になりたがっている。そうした時代の流れを上手に汲みとった者が21世紀ならではの恩恵を得ている。
そうした恩恵は有名人に限らず、ただの一市民にももたらされるようになった。
僕のメリットは何なんだろう…35万だったら月1万でもコツコツ返せばいいと思いますよ “@debudesu30: @hbkr 35万貸して下さい!35万あれば借金返済してゼロからスタート出来るんです!お願いします。
来年4月の出産までに借金ゼロにしたいです!
お願いします…”
— 家入一真 電凸→08044431800 (@hbkr) December 7, 2013
4月に出産を控えたポムコさんもその一人だ。出産費用と借金返済のために家入一真さんへ飛ばした彼女のツイートがきっかけを紡ぎだした。
借金 35万・貯金ゼロの妊婦が Twitterに口座を晒し出産費用のカンパ(痛いニュース)
1234円振り込みました。みんなも続けー RT @hbkr: 来た!クラウド出産ファンディング笑!みんな振り込め! “@debudesu30: @hbkr 口座晒しますので応援して下さい!出産費用に使わせて下さい。情けないですが来年4月出産予定で現在借金残高35万◆”
— 高田 修三 (@_zonish) December 11, 2013
@debudesu30 あなたは産んだ後の子育て費用も見ず知らずの人にお金を恵んでもらってどうにかするつもりなのですか。検診費用や緊急治療の費用はどうするのですか。なぜ産むことにしたのですか。どのぐらいの費用がかかるか事前に予想はしたのですか。
— めいろま (@May_Roma) December 11, 2013
@debudesu30 @hbkr 雀の涙ですが、振り込んでおきました。
— たなか さとき (@haibara2sai) December 11, 2013
@IHayato @hbkr いやーいけださんのいうとおり。
育てていけるの?無責任じゃないの?
と達観してる人の方が無責任という言葉。
読んで瞬時にそう思いました。
子育ては、当たり前だけど、甘くはない。
でも、この人は、他人事みたいでかなしい。
助け合いじゃないのかな。
— 志 (@elysion4000) December 13, 2013
今回の出産クラウドファンディングについて、やはり辛辣な意見も出ている。無責任だ、甘えだ、産まれてくる子が可哀想だ、などなど。でもさ、極論、出来ちゃったもんはしょうがないじゃん。後に引けるわけでもないじゃん。だったら前を向いて、みんなで応援しようよ。叩いた所で何も変わらない。
— 家入一真 電凸→08044431800 (@hbkr) December 11, 2013
ひとつの出来事をめぐり、多くの人が意見を飛ばし合う。辛辣な意見も、同情的な意見も、傍観者的な意見も、あらゆる意見がそのひとつの出来事を巡ってインターネット上を駆け巡る。中には、実際に振込をする人も現れる。
興味や関心の濃淡はあれど、共通するのは単なる傍観者という立場を超えて、その出来事へコミットしたい、飛び込んでいきたいという当事者意識だ。
当事者であることで感情が生まれる。他人との対立や共感が生まれる。何かの感情をめぐり、物理的に離れた人々が感情を共感し合える。
なぜ名も無き一人の女性にお金を振り込む奇特な人々が次々と現れるのか。それは、その出来事の当事者にみななりたいと感じているからだ。退屈な日常を何か豊かなものに変えたいと思っているからだ。テレビの向こう側にいる人達に直接語りかけることが出来る人達は少ない。でも、インターネットならそれが出来る。いますぐにアクションを起こすことが出来る。そして、その反応がダイレクトに返ってくる。その事自体が一つのエンターテイメントなのだ。
これは20世紀には有り得なかった。もちろん雑誌やTVなど中心となるメディアはあった。しかし、マスメディアが中心となって市中のひとびとの声をすくい上げフィルターを掛けて交流が行われるという部分的なものでしかなかった。多くの人はメディアの前でひとりごとをつぶやくだけ。次の日に会社の同僚や学校の友人など狭いコミュニティで感想を言い合うだけだった。
今や、その中心は消えた。単なる個がひとつのテーマをめぐりくっついたりぶつかったり離れたり、その衝突の中であらゆる言説が生まれたり消えたりする。21世紀のダイナミズムは、コミットメントから生まれる。
ちなみに僕も振り込んでみました。健康で健やかな赤ちゃんの誕生を心より願っています。
『舟を編む』が人々に受け入れられた理由
三浦しをん原作、映画『舟を編む』を今更ながら見た。めんどくさいのであらすじをWikiから引用する。「『玄武書房』に勤める変人編集部員、馬締光也が新しい辞書『大渡海』の編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられ、変わり者の編集者たちが辞書の世界に没頭していく姿を描いた作品。」(引用終わり)
舞台は出版社の辞書編集部。ひたすら辞書を作るための地味な仕事にスポットライトを当てた作品。誰しも辞書を一度は手にしたことはあろうが、憧れや注目とはかなり離れた場所にある。子供の頃に「辞書編集者になるたい」なんて思ったことがある人は、人口の0.0001%も居ないんじゃないだろうか。
こうした地味な舞台設定にも関わらず、この映画は非常に高い評価を受けている。本屋大賞を受賞した原作とともに映画も数多くの賞を受賞しており、来年のアカデミー賞最優秀外国語映画部門の日本代表作品にも選ばれている。その評価は日本にとどまらず、香港では異例のロングラン上映を記録しているという。
僕はこの作品がなぜ人々に評価され受け入れられたのか考えてみた。この作品のキーワードはズバリ「疎外感」だ。すると、現代人の抱える疎外感に訴える作品の主題設定がボンヤリと浮かび上がってくる。『舟を編む』は「労働からの疎外」、「ディスコミュニケーション」、「つながってるはずなのにどこか寂しい」、こうした悩みや悲しみにスポットライトを当てた作品なのだ。
主人公馬締はいわゆるコミュ障の若手営業部員。彼は営業部のお荷物であったが、定年間近の辞書編集部ベテラン社員に類まれなる言語センスを評価され、その後継として編集者として白羽の矢を立てられ…、というストーリー。
僕たちの多くは「自分らしく生きろ」、「個性を活かせ」と何度も何度もお題目のように刷り込まれて育ってきたのではないだろうか。しかし、社会に出て会社員にでもなろうものならそんなことはお構いなし。希望部署の調査など合ってないようなもの、その時々の社内の人材ニーズのあるところに数合わせで配属され、とにもかくにも結果を出すことだけを求められる。
はじめは嫌々ながらも日々に追われる中で、あの初々しい希望はどこへやらとただ何となく自分の仕事をこなしていく。「自分にあった仕事」が他にあるんじゃないかという思いを心の何処かで抱いている人はきっと少なくない。マルクスの「労働からの疎外」という概念は今も決して色褪せることはない。
そんな人々にとって、たとえ地味でも自分の能力を余すとこなく発揮でき、しかも本気で打ち込める仕事に巡りあうことが出来た馬締は輝いて見えるに違いない。
馬締は不器用な人間だ。リア充の対極に位置する、極めて内向的な人物である。会話で人に自分の思いを伝えることが出来ない。いまの就職活動だったら絶対に出版社はおろかどこも入れてくれないだろう、と思ってしまうくらいの重度のコミュ障だ(舞台は90年代中盤からスタートする)。彼は常に他者との疎外感を抱えていた。彼にとって存在する他者は、下宿のおばさんと下宿にうず高く積まれた本たちだけだった。
しかし、馬締は辞書編纂という言葉と向き合う仕事を通して、他者とも向き合うようになる。言葉を通じて自分の意志を伝えることに真剣になっていく。自分の思いを人々に伝える道具として言葉と向き合うようになっていく。この成長の過程が再び観客の心に響くのだ。
馬締ほどのコミュニケーション弱者でなくても、疎外感を日常で感じないという人間はいないだろう。21世紀になって、人々はウェブによって爆発的に増加した情報に囲まれ、スマホがあれば誰とでも即座にメッセージをやりとりできるようになった。利便性が人々の関係をある意味「密」にした一方で、言葉を交わしても理解しあえないディスコミュニケーションの場面に出くわすこともずいぶん増えた。人々の埋まらない溝。それはツイッターの炎上やヤフートピックスのコメント欄、Facebookでのやりとりなどを見れば、火を見るより明らかである。
こうした現代人の抱える疎外は、言葉の問題から発生しているとも言える。テクノロジーはコンテンツの流通コストを下げ、人々の関係をどんどん密接にしていく。しかし、入れ物の性能が向上するばかりで中身は逆に劣化してしまっているのかもしれない。
馬締は、こうした時代の変化の中で生まれてくる疎外の中で、その原因でもある言葉に真正面から取り組み、疎外を克服していく。辞書編集というニッチにも見える作品の舞台とストーリーは、単なる「仕事ハッケン伝」の枠を超えて、現代人の誰もが抱える問題に切り込む力を持っている。
あなたの魅力は何ですか ー就職活動と恋愛の類似性についてー
就職活動は恋愛と似ていると言われることがある。両者が共通して持つ、タイミングや人の縁など運命的な要素について言及されることもあれば、複数の相手を同時に交際を申し込んでいく攻めの恋愛からその類似点を説明することもある。相手への好意を伝えながら、自分を相手にアピールする過程もそうだろう。
最近、僕は学生の就職活動に関わることがあった。いま勤めている会社の採用活動であったり、友だち付き合いを続けている母校の後輩からの相談に乗ったり。その中で気づいたのは、自分の魅力に対する理解の差だ。
自己PRで「私の強みは◯◯です。それは、〜〜」という定型文。おいおいそれが君の魅力なのか?もっといいとこあるだろうとか、いや全然それ強みでもなんでもないよとかツッコみたくなったり、逆に媚びない態度で自分の価値をより高く売りぬくことに成功していて、こいつ分かってるなと唸らされたり。
恋愛と同じように、好きだ、好きだと言われるだけでは、物足りないしつまらない。自分にすり寄ってくる態度が気に食わないと感じたり、逆に媚びない態度で接する人から言って欲しいことをピンポイントで伝えられたりして、忘れられなくなったりする。ちなみに僕は就職活動の面接では、あえて「偉そうに」しゃべることを意識していた。幸運にもこの戦略は上手く行き、面接で落ちたことはほとんどない。
こうした差はどこで生まれるのか。僕は、他人から自分が求められた経験と自分の何が他人にとって魅力的なのかを丁寧に自問自答したことがあるかどうかが関係しているように思う。
特定の他者と恋愛関係になった時、誰しもが相手は「自分のどこに惹かれたのだろうか」と考える。「私のどこが好き?」という問いかけを相手に投げかけたり、投げかけられたりした経験は誰しもあることだろう。
相手から思いもかけない言葉が帰ってくることがある。「あの時のこんな行動が好き」、「こういう考え方に惹かれた」という答えに驚くことは少なくないはずだ。相手の返答にガッカリしたり、意表を突かれたり、有頂天になったり、やっぱりなと思ったり。こうした体験はきっと他者は自分に何を求めているのかという疑問にヒントを与えてくれる。
自分には何が出来るだろうと悩む就活生は多い。多くの文系学生が共通して感じることだろう。しかし、企業は今すぐ役立つスキルや能力を学生に期待などしていない。大部分の学生の能力に差などないからだ。実際の業務の中で学べばいいと考えてる、だから、今でも新卒採用慣行が根強く続いているのだろう。良い悪いは別として。
新卒学生の就職活動は自分という人間を相手にどう伝えることができるか、それだけが勝負だ。エントリーシートや面接のキモはそこしかない。自分の持つ魅力はどこにあるのか、それは仕事にどう活きるのか。面接はその魅力を分かりやすく伝えるチャンスだ。
自分の「魅力」は他者がいて始めて成立する。自分がただ一人存在するだけでは、そこには魅力も欠点も存在しない。他者が自分のどの部分を魅力的だと感じるのか。他者はあなたの魅力によって何を得るのか。それを理解するのに恋愛はきっと役に立つ。
カラオケで楽器を練習する
最近、楽器を始めた。西アフリカのパーカッション、ジャンベだ。丸太を一本まるまる使ったボディとなめしたヤギの皮からなるこの太鼓は、人間の根源を揺さぶる芯のある音を鳴らしてくれる。
のはいいのだが、音が大きすぎて集合住宅では演奏ができない。ふぁっく。近所にスタジオがあるが、ちょっと遠い。あと、バンドマン怖い。一人で入れば一時間600円だから割とリーズナブル。それから、区民文化センターでは予約すれば2時間900円位?(忘れた)でスタジオを借りることも出来る。
代々木公園などに行けば、ヒッピーみたいな兄ちゃんが黒人と一緒にナイスなリズムを奏でているはず。怖い。まだ、無理。下手っぴだもん。
ということで、カラオケに行ってきた。
※写真が少しボケてる
お店に失礼があってはいけないのでまず電話で確認。快く承諾を頂いたので、いそいそとジャンベを抱えてお店へと足を運ぶ。
ちなみにこのジャンベ、でかい。あと重い。なので、お水とかを大量に買った時に運ぶようのキャリーで移動。
※ビールを飲みながら
ちなみに伺ったお店は「カラオケバンバン」。どの店舗かは言わない。店によって違うかもしれないので。
2時間ドンドコ叩く。下手っぴなので外に人が通るのを見ると少し恥ずかしい。
気持ちのまま叩けば小粋なリズムを繰り出せるほど上手じゃないので、持ち込んだMacからYoutubeで練習に使えそうな動画を探す。
Djembe rhythms and grooves part 1 - Kuku, Kono ...
Youtubeで探した所、これが見つかった。日本語だとあまり動画の選択肢がない。だから、英語で"djembe rhythms"と検索した。これに合わせつつ練習してみたり。
もっと上手くなりたい。カラオケの平日夜は割りと空いてるみたいなので、また機会を見つけて練習しに行こう。
京都でキチガイと暮らす
大学二年生の冬だったろうか。僕は京都に住んでいた。京都の厳しい寒風が吹きすさんでいた。紅葉は無残に散り、寒々しい木々に町は灰色の影を投げかけていた。
今出川駅から少し北に行った細い道の上だった。僕は自転車に乗って軽快に前へ前へと進んでいた。
歩行者が見えてきた。僕は歩道を走行していたので、交通規則に従い歩道から車道に降り、彼を追い抜こうとした。
「ガタンッ」
自転車は歩道から外れて車道へ下りた。
背後から雄叫びが聞こえる。
「歩行者優先の勝利じゃ〜」
僕が追い抜いたおじさんの叫び声だ。
僕は恐ろしくなって自転車をこぐスピードを上げた。
そうだ。ここは関西なのだ。しかも、京都。京都は関西の中でも魑魅魍魎が跋扈する都市。歴史と伝統に彩られた神社仏閣が世界中の観光客を魅了する一方、この地に住む者たちは狂気に満ちていた。
近所には「おれは天皇の弟の従兄弟で、検察庁長官と昔からの馴染みや。そんで、この家には光源氏が眠っとる」と会うたびに教えてくれる一人暮らしのおじさんが住んでいた。僕の大家はしばしば僕に家事を手伝うよう命じる。学校に行けば、ボロボロの寮に何十年も住み続けるゴーレムさん(すでに学生ではない)に声をかけられる。ゴーレムさんは最近バイトしていた引越し屋さんの社員に暴力を振るわれたとかで、裁判を起こし幾ばくかのお金が懐に入る見込みだと言って、笑顔を見せた。ボロボロに抜けた前歯が輝いて見えた。
別の寮では、イラン人のバハドゥルさんが寮の一階を丸まる占拠していた。天井高く積み上げられた蔵書はみるみるうちに増殖する。彼は寮やその近所のあらゆる場所に怪文書をばら撒き続けた。誰も手がつけられなかった。追い出そうにも、彼は日本国政府から難民指定を受けており、住所はこの寮に指定されていた。彼を追い出すことは彼を法の秩序から追い出すことに等しいことだった。寮の人権派は彼を擁護し続けた。
山田さん(仮名)も忘れることが出来ない。彼もまた正規の学生ではなかった。単なる聴講生だったが、ここなら安く生活できるとどこかから聞きつけてこの寮に潜り込んでいた。年齢は四十すぎくらいだろうか。人が体調に異変をきたすほどの悪臭を体から発しつつ、誰の忠告にも構うことがない。衛生上の問題から、寮生大会では彼の悪臭について六時間も熱く議論が交わされた。彼は寮を出ることはなかった。人権派の活躍のおかげだ。そう、ここは京都。古くから共産党が強い。人権には敏感な土地柄なのだ。
僕は京都に住んでいた。
Nexus 5 + OCN モバイル ONE いまさらレビュー
Nexus 5を手に入れた。始めてのAndroid機だ。仕事がらモバイル端末を触ることが多く、iPhoneだけでなくAndroidを実際に触ってみなければと思って購入した。
イーモバイルではなくGoogle PlayからSIMフリー端末を注文。以下、簡易レビュー。
良かった所
- 画面が綺麗。1920x1080 ディスプレイ(445 ppi)フル HD IPSはさすが。
- 反応がキビキビ。4年近くiPhoneをつかっているので、スクロールしきった時の跳ね返りがないとか、スクロールのぬるぬる感の無さは気になるが、Android 2.x系のどんくささはすでにない。
- Google Playの動画コンテンツが意外にも充実。報道にもあるようにテレビドラマ配信が開始されたのはiTunesに一歩リードか。ー Google Playでテレビドラマ・アニメの配信開始 「半沢直樹」など - ITmedia ニュース
- Google Nowがすぐに呼び出せるのが良い。iPhoneでも検索の際にブラウザを立ち上げるのではなく、Google検索アプリを使っているのでこれはラク。
- 着信ランプがあるのが良い。iPhoneにはないからね。
- アプリから別のアプリを呼び出す際、開くアプリを常時設定できる。たとえば、メールクライアントやTwitterからChromeで開くか、別のブラウザで開くか、とか。iPhoneにもこの設定はいるでしょ。
- Googleサービスの連携が良い。iPhoneだとホームボタン二回押して、アプリ一覧から行きつ戻りつしなければいけないようなことがほとんどない。
良くない所
- 大きい。最近のAndroid機の傾向だと思うが、5inchはちょっと僕には大きい。左端が押しにくい。欧米人仕様なんだろうから、まあ仕方ない。
- たまにうまく動かないアプリがある。Androidの断片化問題というやつか。
- MVNOのSIMにOCNを使っているが、初期設定が結構面倒。IIJmioなんかは最初から設定がある。一方、OCNはそれがなくしかも個別にID・PWを入力しなければいけない。何度か設定をミスって烏合用になるまで時間がかかった。
- これまで築いてきたMac OSX - iPhone iOS - Apple TV体制が全く活かせない。AirPlayのためのAndroidアプリもあるが、エラーが頻出し実用に耐えない。
- 充電が過ぎ切れる。iPhoneと比べると同じ使用方法で4分の3くらいしか持たない。これは体感だけど。
※Android版Cakesアプリ。糸井さんの笑顔がまぶしい。
分かったこと
- OCN モバイル ONE、1GBプラン(1,260円/月)を契約しているが結構余る。家でも会社でもWi-Fiを使っているのでこんなもんか。購入したてのころは常に使っていたがそれでも余る。今は基本iPhoneたまにNexusなので最低料金プランに変えようかと思う。
- ということは、今使ってるiPhoneの料金が高過ぎて仕方ない。解約してもっと良い体制にする余地があるようだ。
※OCNの仕様?「通信サービスはありません」との表示。データ通信は問題なく可能。
仕事の勉強と思って買ったのでそこまで期待していなかったが、SIMフリーでこの価格設定はかなり安いと思う。ただ、僕の使用方法だと5 inchは少し中途半端。iPhoneとiPad miniの2台体制がベストに思う。
PV大爆発 〜ハックル先生ありがとう〜
これまで何度ブログを始めてはすぐに諦めてしまったのだろう。ある日唐突に「よし、ブログを書こう」と意気揚々と興奮気味に書き始めるものの、数日後には始めたことすらすっかり忘れてウェブの大海原に漂う僕の精神の残骸に思いを馳せれば、その涙はとどまることを知らない。
しかし、今回は違う。手応えを感じている。ただのビギナーズラックだろうか。それとも僕の人間的成熟が何かを変えつつあるのだろうか。ボンヤリとそんなことを感じながら、今日も社畜は会社へと向かう。
昼休み、なんとなしに僕ははてなブログのアクセス解析を眺めた。
!!!
ヘヤカツの素晴らしい実践レポート、ありがとうございます! / “『部屋を活かせば人生が変わる』のか? - 僕に友だちはいらない” http://t.co/aVrv51VuMC
— 岩崎夏海 (@huckleberry2008) December 2, 2013
ハックル先生!ありがとう!!!
ハックル先生が僕の記事をツイートしてくれていたのだ。僕の記事があまりに素晴らしすぎたのかと一瞬勘違いしそうになった。いつもニコ生、見てますよ。あとブロマガも。ファンです。
なるほど〜、ブログはこうやって書けばいいのですね。