大人になったのかしらと思う時

先日、ライブに行った。チケットをまだ買っていなかった。それなりに有名な人だけどマイナーな楽器奏者だし、たぶんチケットが開演前に売り切れることはないだろう。そう読んでいた。

 

開演一時間前になって、ライブハウスへ確認の連絡をした。良かった。まだチケットはあるらしい。しかも、数に余裕があるとのこと。

 

仕事をしてたらいつの間にか時間は過ぎ、開演して30分経っていた。ヤバイヤバイ。急いで会場へ向かった。街は花の金曜日で浮かれていて、道は混んでいた。結局、開演から1時間遅れてしまった。チケットはまだあった。500円高い当日券を購入した。

 

とてもいいライブだった。遅れたけど、逆に調度よい長さに思えた。

 

ライブから何日か経ったある日、いつものようにEvernoteを開いて思いついたことをメモした。

 

!!!

 

f:id:namegumo:20131202000158p:plain

 

!!!

 

f:id:namegumo:20131202000324p:plain

 

 !!!

 

f:id:namegumo:20131202000853p:plain

 

当日券があるかどうか、ドキドキしながら電話をしたあの時、すでに僕はチケットを手にしていたのだ。紙に印刷された物理的なチケットはなかったが、少なくともデータとしてそれは存在しており、105円払って発券しさえすれば入場の権利をすでに僕は有していた。

 

僕は余分に3500円払っていた。まあ、いいか。良いイベントだったし。チケット余ってたし。僕が人より多く払ったことで、誰かが少し幸せになってるんだ。きっと。

『部屋を活かせば人生が変わる』のか?

文教堂にブツブツ文句を言いながら、もしドラ作者のハックルさんこと岩崎夏海氏の新著『部屋を活かせば人生が変わる』を購入したのが先週末。

 

購入した日に、ざっと読み通してそれから少しずつ書かれていることを実践していった。まず、数カ月前の僕の散らかりきった部屋。汚くなると掃除をいそいそと始める。だいたい1週間位で元の散らかりように。これを一ヶ月サイクルで繰り返していた。

 

 

Before:

f:id:namegumo:20130928221517j:plain

 

iPhone5によるパノラマ撮影

 

環境を変えれば人間も変わる。ハックルさんが部屋について考える時の基本思想である。この散らかりきった部屋で長いこと暮らしてきて、僕はいいかげん疲れていた。何かを変える必要があると思っていた。

 

僕の部屋は一人暮らしにしては少し広い12畳。その真ん中にドンと鎮座していたのがテレビとテレビ台、コーヒーテーブル、そして写真には映ってないがソファであった。ここが生活の中心となり、僕は部屋にいる時間の大半をここに座って過ごしていた。

 

ハックルさんは言う。部屋は導線が全てだと。掃除の導線、洗濯の導線、食器洗いの導線。これらの導線がきちんと確保されていなければ、すぐに部屋は散らかり死んでしまう。部屋を綺麗に保つための仕組みを作ることが、部屋を活かすことの第一歩なのだ。

 

これに僕は唸らされた。なぜなら、以前の部屋の写真を見て分かる通り、掃除をするための空間が一切考慮されていなかったからだ。事実、僕が掃除機をかけるのはひと月に一回。ホコリが溜まりに溜まったころだった。掃除は質より量だという。掃除機を書ける頻度を上げること、それが部屋を綺麗に保つコツらしい。

 

僕は掃除のしやすさを重視して、家具の配置を試行錯誤した。ちなみにテーブルには物をおいてはいけないらしい。この本を読んで初めて知った。そうか、そうなのか。。。テーブルの上で使ったものは終わったらすぐ片付けなければいけないのだ。

 

After:

f:id:namegumo:20131201223438j:plain

 

これが今の僕の部屋。ずいぶんと片付いて気分がいい。掃除をエンターテイメントにするという発想には恐れいった。確かに楽しかった。

 

見た目はずいぶん改善したものの、まだ本に書いてあることの3分の1くらいしか実践できていない。まず、本棚に本が多すぎる。本は積み上げるものではなく、見せるものらしい。確かにグチャグチャに積み重なった本棚を見ていてもそれほど気持ちが良いものではない。

 

あとはソファをどうするか。実はこのソファあまり座り心地が良くない。きちんと店で座ってみたのだが、届いてからイマイチなことに気づいてしまった。だから処分を検討している。ソファの代わりに生まれる空間をどう活用しよう。仕事に集中できる机だろうか。まだまだ考えることは山積みのようだ。

 

 

部屋を活かせば人生が変わる

部屋を活かせば人生が変わる

 

 

東京に来て良かったこと【本屋編】

東京に来て良かったと思うことはいくつもあるが、その中でも本屋が沢山あるのは良かったことベスト10に入るだろう。本屋が沢山あるということは本屋が互いに差別化を図ることになる。一軒一軒に個性が生まれる。今の仕事は少し本屋と遠いところにあるからこそ、違う視点や新しい発見を求めて本屋へ足を運ぶ。

 

たったいま「マツコ&有吉怒り新党」というテレビ朝日の番組を見ていた。

 

街の本屋が潰れてしまったことを嘆く視聴者からのメールに有吉とマツコがそれぞれの意見を述べる。二人に共通していたのは、「新しい発見、体験を求めて本屋に行く」ということであった。

 

そんな中で、今日はWebにまたこんな炎上ネタが生まれていた。

f:id:namegumo:20131128002928p:plain

痛いニュース(ノ∀`) : 本屋の店員ブチ切れ 「この本どこ?とか聞く客。ほしい本くらいてめえで探せや」 - ライブドアブログ

 

消費者目線から言うと、ただでさえ苦境な書店業界が基本的な客の要望にも応えられないというのはどういうことか、さっさと潰れてしまえ馬鹿野郎という感じだろうか。ただ、本屋で働く従業員にとっては乱造され次々と入荷する本の山に埋もれて、本一冊一冊に向き合う暇もないのだろう。

 

そもそも本屋に行く意味とは何なのだろう。マツコや有吉が言っていたように、新しい本との出会いから生まれる喜び(セレンディピティ - Wikipedia)を求めて本屋を求める人もいれば、様々な理由で(いますぐ探してる本が欲しいとか、そもそもAmazonが使えない)とかで本屋に特定の本を探しに行くということもあるだろう。

 

セレンディピティを求めるなら本屋がいまのところ最適なチョイスの一つだろう。PCの画面では(それが27inchディスプレイだとしても)一度に表示できる本の数には制限がある。一方、本屋はそれと比べると格段の表示領域を持つ。

 

では、特定の本を探している時はどうか。これはなかなか難しい。本屋ではそもそも棚を探すのに時間がかかる。階を探してウロウロしたり、目的の棚を見つけてもそこになかったり。ジャンル、出版社、作家名、新着やトレンドなど様々な区分けによって位置が変わったりもする。

 

かといって、本屋の端末で検索しようにも大きな本屋では検索端末の前に長蛇の列だったり、そもそも中途半端な店舗には検索用端末がなかったりする。結局は、忙しそうに動きまわっている店員さんに聞くことになる。

 

この書店員のツイートがこれほど拡散・炎上された原因はなんだろう。

 

一つには本の検索という機能について書店が果たすべき役割をあまりにも軽視している点があるかもしれない。人は本を「探し」に来ている。その期待に応えられていない。それならAmazonというのは利便性の観点からいっても自然の流れだろう。

 

もう一つは本屋しか(いまのところ)提供できないセレンディピティ体験に対する消費者の評価がイマイチということもあるだろう。その役割をとことんフォーカスしているのは代官山蔦屋書店に代表される、キュレーション型本屋である。六本木のTSUTAYAもそうだし、下北沢のB&B、キュレーション型本屋の先駆けであろう京都の恵文社一乗寺店ガケ書房もここに入る。何かのジャンルに特化した古本屋なども同じだ。

 

本屋はこれからどこに向かうのか。Amazonに負けない蔵書と検索機能を追求していくのか、それとも人間にしか出来ないキュレーションにかける(それはもうアーティストの仕事に近接する)のか。

 

 この本を本屋に探しに行って、店員さんが端末で検索した挙句無いと告げられガッカリしたのを思い出しながら、そんなことを考えた。

部屋を活かせば人生が変わる

部屋を活かせば人生が変わる

 

※ちなみにアフィリエイトではありません。 

 

追記(2013/11/28):

出版元の夜間飛行で確認すると、販売書店一覧にその本屋は入っていた。オジサン店員さんは一生懸命、検索欄に「部屋 人生 カワル」と入力していた。タイトルそのまま入れたら?と思ったが、もしかしたら漢字以外は半角カナを入れないといけない仕様なのかもしれないしと思って黙っていた。

 

再びその店に訪れて、若い女の店員さんに聞いた。ISBNコードを聞かれたのでアマゾンで調べて伝えるとすぐに本が出てきた。なんということだろう。ちなみにその本屋さんは「文教堂」です。おわり。

関西人と話す

18年ほど住んだ実家を離れ、京都に来て一人暮らしを始めた頃、関西人との話し方がよく分からなかった。会話のテンポは早くて、内容はあっちやこっちに飛んで行く、相手が何を言いたいのか、何を言えばいいのか皆目見当がつかなかった。

 

苦労して大学に入ったという思いから、みな入学時アッパーなテンションだっただけかもしれないが、それにしても4年間を通していわゆる関西人らしい話し方をする友だちなどほとんどできなかった。

 

もちろん関西人の中にも、大阪と京都の違いだとか、京阪神以外の近畿圏はどうだとかあるだろう。当然、人によってもさまざまだ。僕の友人のうち、関西出身の人の多くは物静かで内気でゆっくりとしゃべる人ばかりで、典型的な関西人とは大きく乖離していた。周りを見渡すかぎり、前者は少数派だった。

 

 4年生になったある時、大学の校門あたりをウロウロしながら友人(非関西人)と暇をつぶしていると、突然警備のおっちゃんに話しかけられた。

 

「今日、雨降るらしいで」

「ほんまですか〜。困りますねえ。これから試合やのに」と友人は答えた。

 

彼は野球サークルかなんかの練習試合か何かでグローブだかなんだかそんなようなものを片手にぶら下げていた。

 

「そうか。あかんな。そいえば、この前の阪神巨人の試合よかったなあ」

「ああ、あの試合。○○(野球選手の名前)は根性があれへんなあ」

「ほんまやな。がんばりや」

「ありがとう。ほな」

 

友人はそれで会話を切り上げた。僕は、彼の力の抜けた自然な会話の成り行きを見届け、ようやくある真理に辿り着いた。

 

腰をふっと浮かせて、少し顔をいつもより気持ちだけ上げ、頭の上のほうにポンっとボールを投げるような、そんな感じで音を出す。言葉の意味よりも会話のリズムを意識する。頭で考えて発声するのではなく、腹の底から自然と音を出す。これが関西人のしゃべり方だ。

 

振り返ってみれば、僕はよく相手の言葉の意味がわからず会話を途切っていた。

 

例1.

「○○で☓☓したらほにゃほにゃやんなあ」

「えっ、ほにゃほにゃって何?」

 

例2.

「××してもうたら○○なってん〜」

「へえ、そうなんだ。それは困るねえ」

 

これではダメなのだ。ほにゃほにゃの意味するものがなんであれ(そもそも何も意味していないことも多い)、会話のテンポの流れに乗っかって「ほにゃほにゃ」以上のインパクトのある返しをしなければいけないのだ。

 

そもそも京都は「みやこ」なのだ。古来、宮廷で行われた歌詠みの伝統が脈々とこの土地の人々に受け継がれてきたのだ。上手いことを言われたら、もっと上手く返さなければ失礼だ。京都や奈良の小学生は万葉集を叩きこまれ和歌を諳んじる。大阪の子どもたちは毎日吉本新喜劇で笑いの英才教育を受けてきているのだ。現代において、お笑いは和歌が作り上げた「上手いこと行ったもん勝ち」文化の正当な後継者だ(たぶん)。その血を色濃く受け継いだ関西人にとって、上手いことを何一ついうこと無く「そうなんだ〜」なんて返された日には二度と話しかけようとは思わないはずなのだ(たぶん)。

僕に友だちはいらない

f:id:namegumo:20131123191656j:plain

 

母校の学園祭に行ってきた。とても懐かしい気持ちになったのと同時に、僕の居場所はもうここには無いと痛感した。それはとても悲しいことだった。

 

京都には沢山の学生が住んでいる。京都の人口のおよそ10%が学生だというから、おそらく20万人前後いるのだろう。そして、その多くが卒業後に東京や大阪など大都会か、地元など京都の外に就職先を得て、ここを離れるのだ。大学院に進学したり、京都に職を得たり、大学を卒業せずダラダラと残る人を差し引いても、4〜5万人の人間がここを離れて別の新しい人達がここに住み始める。

 

大学に通っていた時のことを思い出した。ゆっくりとした空気が流れる、京都での生活のリズム。四方を山に囲まれた盆地が織りなす冬の底冷えする寒さ。碁盤の目をした道路には自転車が行き交う。何となくあたりにただよう街の匂い。女の子と歩いた道。そのいずれもが今の生活から消えてしまっていた。

 

京都にいた最後の年に仲良くなったあるお店の店長を思い出し、挨拶がてらその店を訪れた。彼は、僕が大学生を始めた頃と変わらずその店を続けていた。店の雰囲気も場所も何も変わっていなかった。彼が毎年主催していたイベントが今年は開かれなかったことを思い出し、その理由を尋ねた。

 

「結婚したんだよ。だから、時間も金も余裕がなくなってさ。」はにかみながら彼は答えた。その言葉には寂しさだけでなく、心からの幸せが浮かび上がっていた。人は変わる。僕も大学を出て京都を離れ、東京で暮らしていた。

 

それから大学時代のたまり場に足を運んだ。ヒマを持て余してみなで夜な夜な集まっては飲んだくれていたあの場所に。

 

大学を卒業してたった1年と半年なのにも関わらず、ここに集まる人はずいぶんと変わっていた。その中心にいる人間が変わるとそこに集う人もずいぶんと移り変わる。僕の知っている人はほんのごくわずかしかいなかった。

 

夜ごとにそこに集まって長いこと話してきたはずなのに、いまやみんなバラバラになって集まることもほとんどない。みんな、何をしてるのだろう。

 

大学生活の暇すぎて時間が無限にあるように感じたあの時に、僕らを結びつけていたものはなんだろう。音楽の趣味や会話のテンポ、人間や人生に対する価値観。そんな高尚なものだろうか。いや、そうじゃない。単に暇だったから。暇で退屈で、周りには精一杯大学生活をやりきろうと全力で生活してる大学生(いわゆる、リア充)がいて、でもあいつらみたいに生きるのは無理だって思ったし、べつにやりたいこともないからこうやって退屈な者同士、その時間を少しでもマシにしようと思ってそこに集まってただけ。

 

もちろんその時間が一切ムダだったなんて言うつもりもない。楽しい時間もあれば、本当に腹の立つ時間もあった。全く意味のないことでお互い笑い合うこともあれば、こいつは本当にすごいとおもって価値観を揺さぶられることもあった。

 

でも、もう誰もここにはいない。だって、もう分かり合えないし、もう分かり合う必要もない。そこにいる誰もが将来が何も分からないボンヤリとした単なる人格しか持ってなかったからあの時間は成り立ったのであって、それぞれの道を歩みだした今となっては互いに話しをすることの価値が相対的に失われてしまったのだ。

 

f:id:namegumo:20091201135147j:plain

 

大学1、2回生のことを考えてみる。あの頃は誰もが何者でもなかった。そりゃ大学中を見渡せば、随分前から人生を賭けてきた何かがある者もいたことだろう。でも、そんなやつはほんの少数で、みんな未来が不確定なただの大学生だった。何が正解だか検討もつかず、でも失敗はしたくないと思ってフラフラとあっちこっち行き当たりばったりに動いてただけだった。だから、オレはこれが好きだ、嫌いだ。これがしたい、したくないとお互い言いあうだけで十分だった。

 

でも、今は違う。みな、それぞれが「○○株式会社の××という部署で△△の仕事をしており、年収は???万円で@@に住み、実労働時間は一日?時間で休みは%%%という趣味を楽しんでいる」というような社会的記号を付与されて無意識のうちに社会に縛られている。

 

ここまで書いて、小学4年生の頃の友だちを思い出した。彼が親の転勤でいなくなってしまうまで、数年間、毎日飽きること無くお互いの家を行き来したものだった。そんな彼から少し前Facebookを通じて友達リクエストがきた。

 

僕は少し迷った挙句、そのリクエストも無視することにした。なぜなら、彼のプロフィールを見ると、聞いたこともない田舎の高校に通っていて大学に行っているかも分からなかったし、そもそも彼と過ごした1年か2年のことを殆んど思い出すことができなかったからだ。これまで生きてきた二十数年間の中で考えると、その年はさほど重要な位置を占めてはいなかった。だから、いまさら彼と友人になっても何も分かり合えないしお互い不毛だろうと思ったのだ。

 

 ついでに昔付き合っていた女の子との愛のやりとりを見つけたので、冷や汗をかきながら全部読み切って削除した。彼女は僕よりも先に就職したから、きっと僕に別れを切り出すとき僕が今感じているようなことを僕より先に考えたのだろう。

 

 

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

  

瀧本哲史氏の最新刊が「君に友だちはいらない」というタイトルで最近発売された。まだ買ってもないし、これから買う予定もないのだが、レビューを読む限り、「共通の目的に向かって邁進する組織作り」に関係する本のようだ。

 

きっと僕が大学生の時に馴れ合った「ともだち」の無用性を説いて、ゴールに向かって前進する「仲間」が君の人生をより良くする、とかそんな感じの内容なのだろう。

 

f:id:namegumo:20131124201555j:plain

 

そんなのクソ食らえ、と思う。けれど、そうした選択の結果にあるのが、この失望感なのだろう。結局、人間は孤独で僕は誰とも分かり合えないのだ。