東京に来て良かったこと【本屋編】

東京に来て良かったと思うことはいくつもあるが、その中でも本屋が沢山あるのは良かったことベスト10に入るだろう。本屋が沢山あるということは本屋が互いに差別化を図ることになる。一軒一軒に個性が生まれる。今の仕事は少し本屋と遠いところにあるからこそ、違う視点や新しい発見を求めて本屋へ足を運ぶ。

 

たったいま「マツコ&有吉怒り新党」というテレビ朝日の番組を見ていた。

 

街の本屋が潰れてしまったことを嘆く視聴者からのメールに有吉とマツコがそれぞれの意見を述べる。二人に共通していたのは、「新しい発見、体験を求めて本屋に行く」ということであった。

 

そんな中で、今日はWebにまたこんな炎上ネタが生まれていた。

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痛いニュース(ノ∀`) : 本屋の店員ブチ切れ 「この本どこ?とか聞く客。ほしい本くらいてめえで探せや」 - ライブドアブログ

 

消費者目線から言うと、ただでさえ苦境な書店業界が基本的な客の要望にも応えられないというのはどういうことか、さっさと潰れてしまえ馬鹿野郎という感じだろうか。ただ、本屋で働く従業員にとっては乱造され次々と入荷する本の山に埋もれて、本一冊一冊に向き合う暇もないのだろう。

 

そもそも本屋に行く意味とは何なのだろう。マツコや有吉が言っていたように、新しい本との出会いから生まれる喜び(セレンディピティ - Wikipedia)を求めて本屋を求める人もいれば、様々な理由で(いますぐ探してる本が欲しいとか、そもそもAmazonが使えない)とかで本屋に特定の本を探しに行くということもあるだろう。

 

セレンディピティを求めるなら本屋がいまのところ最適なチョイスの一つだろう。PCの画面では(それが27inchディスプレイだとしても)一度に表示できる本の数には制限がある。一方、本屋はそれと比べると格段の表示領域を持つ。

 

では、特定の本を探している時はどうか。これはなかなか難しい。本屋ではそもそも棚を探すのに時間がかかる。階を探してウロウロしたり、目的の棚を見つけてもそこになかったり。ジャンル、出版社、作家名、新着やトレンドなど様々な区分けによって位置が変わったりもする。

 

かといって、本屋の端末で検索しようにも大きな本屋では検索端末の前に長蛇の列だったり、そもそも中途半端な店舗には検索用端末がなかったりする。結局は、忙しそうに動きまわっている店員さんに聞くことになる。

 

この書店員のツイートがこれほど拡散・炎上された原因はなんだろう。

 

一つには本の検索という機能について書店が果たすべき役割をあまりにも軽視している点があるかもしれない。人は本を「探し」に来ている。その期待に応えられていない。それならAmazonというのは利便性の観点からいっても自然の流れだろう。

 

もう一つは本屋しか(いまのところ)提供できないセレンディピティ体験に対する消費者の評価がイマイチということもあるだろう。その役割をとことんフォーカスしているのは代官山蔦屋書店に代表される、キュレーション型本屋である。六本木のTSUTAYAもそうだし、下北沢のB&B、キュレーション型本屋の先駆けであろう京都の恵文社一乗寺店ガケ書房もここに入る。何かのジャンルに特化した古本屋なども同じだ。

 

本屋はこれからどこに向かうのか。Amazonに負けない蔵書と検索機能を追求していくのか、それとも人間にしか出来ないキュレーションにかける(それはもうアーティストの仕事に近接する)のか。

 

 この本を本屋に探しに行って、店員さんが端末で検索した挙句無いと告げられガッカリしたのを思い出しながら、そんなことを考えた。

部屋を活かせば人生が変わる

部屋を活かせば人生が変わる

 

※ちなみにアフィリエイトではありません。 

 

追記(2013/11/28):

出版元の夜間飛行で確認すると、販売書店一覧にその本屋は入っていた。オジサン店員さんは一生懸命、検索欄に「部屋 人生 カワル」と入力していた。タイトルそのまま入れたら?と思ったが、もしかしたら漢字以外は半角カナを入れないといけない仕様なのかもしれないしと思って黙っていた。

 

再びその店に訪れて、若い女の店員さんに聞いた。ISBNコードを聞かれたのでアマゾンで調べて伝えるとすぐに本が出てきた。なんということだろう。ちなみにその本屋さんは「文教堂」です。おわり。