関西人と話す

18年ほど住んだ実家を離れ、京都に来て一人暮らしを始めた頃、関西人との話し方がよく分からなかった。会話のテンポは早くて、内容はあっちやこっちに飛んで行く、相手が何を言いたいのか、何を言えばいいのか皆目見当がつかなかった。

 

苦労して大学に入ったという思いから、みな入学時アッパーなテンションだっただけかもしれないが、それにしても4年間を通していわゆる関西人らしい話し方をする友だちなどほとんどできなかった。

 

もちろん関西人の中にも、大阪と京都の違いだとか、京阪神以外の近畿圏はどうだとかあるだろう。当然、人によってもさまざまだ。僕の友人のうち、関西出身の人の多くは物静かで内気でゆっくりとしゃべる人ばかりで、典型的な関西人とは大きく乖離していた。周りを見渡すかぎり、前者は少数派だった。

 

 4年生になったある時、大学の校門あたりをウロウロしながら友人(非関西人)と暇をつぶしていると、突然警備のおっちゃんに話しかけられた。

 

「今日、雨降るらしいで」

「ほんまですか〜。困りますねえ。これから試合やのに」と友人は答えた。

 

彼は野球サークルかなんかの練習試合か何かでグローブだかなんだかそんなようなものを片手にぶら下げていた。

 

「そうか。あかんな。そいえば、この前の阪神巨人の試合よかったなあ」

「ああ、あの試合。○○(野球選手の名前)は根性があれへんなあ」

「ほんまやな。がんばりや」

「ありがとう。ほな」

 

友人はそれで会話を切り上げた。僕は、彼の力の抜けた自然な会話の成り行きを見届け、ようやくある真理に辿り着いた。

 

腰をふっと浮かせて、少し顔をいつもより気持ちだけ上げ、頭の上のほうにポンっとボールを投げるような、そんな感じで音を出す。言葉の意味よりも会話のリズムを意識する。頭で考えて発声するのではなく、腹の底から自然と音を出す。これが関西人のしゃべり方だ。

 

振り返ってみれば、僕はよく相手の言葉の意味がわからず会話を途切っていた。

 

例1.

「○○で☓☓したらほにゃほにゃやんなあ」

「えっ、ほにゃほにゃって何?」

 

例2.

「××してもうたら○○なってん〜」

「へえ、そうなんだ。それは困るねえ」

 

これではダメなのだ。ほにゃほにゃの意味するものがなんであれ(そもそも何も意味していないことも多い)、会話のテンポの流れに乗っかって「ほにゃほにゃ」以上のインパクトのある返しをしなければいけないのだ。

 

そもそも京都は「みやこ」なのだ。古来、宮廷で行われた歌詠みの伝統が脈々とこの土地の人々に受け継がれてきたのだ。上手いことを言われたら、もっと上手く返さなければ失礼だ。京都や奈良の小学生は万葉集を叩きこまれ和歌を諳んじる。大阪の子どもたちは毎日吉本新喜劇で笑いの英才教育を受けてきているのだ。現代において、お笑いは和歌が作り上げた「上手いこと行ったもん勝ち」文化の正当な後継者だ(たぶん)。その血を色濃く受け継いだ関西人にとって、上手いことを何一ついうこと無く「そうなんだ〜」なんて返された日には二度と話しかけようとは思わないはずなのだ(たぶん)。