僕に友だちはいらない

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母校の学園祭に行ってきた。とても懐かしい気持ちになったのと同時に、僕の居場所はもうここには無いと痛感した。それはとても悲しいことだった。

 

京都には沢山の学生が住んでいる。京都の人口のおよそ10%が学生だというから、おそらく20万人前後いるのだろう。そして、その多くが卒業後に東京や大阪など大都会か、地元など京都の外に就職先を得て、ここを離れるのだ。大学院に進学したり、京都に職を得たり、大学を卒業せずダラダラと残る人を差し引いても、4〜5万人の人間がここを離れて別の新しい人達がここに住み始める。

 

大学に通っていた時のことを思い出した。ゆっくりとした空気が流れる、京都での生活のリズム。四方を山に囲まれた盆地が織りなす冬の底冷えする寒さ。碁盤の目をした道路には自転車が行き交う。何となくあたりにただよう街の匂い。女の子と歩いた道。そのいずれもが今の生活から消えてしまっていた。

 

京都にいた最後の年に仲良くなったあるお店の店長を思い出し、挨拶がてらその店を訪れた。彼は、僕が大学生を始めた頃と変わらずその店を続けていた。店の雰囲気も場所も何も変わっていなかった。彼が毎年主催していたイベントが今年は開かれなかったことを思い出し、その理由を尋ねた。

 

「結婚したんだよ。だから、時間も金も余裕がなくなってさ。」はにかみながら彼は答えた。その言葉には寂しさだけでなく、心からの幸せが浮かび上がっていた。人は変わる。僕も大学を出て京都を離れ、東京で暮らしていた。

 

それから大学時代のたまり場に足を運んだ。ヒマを持て余してみなで夜な夜な集まっては飲んだくれていたあの場所に。

 

大学を卒業してたった1年と半年なのにも関わらず、ここに集まる人はずいぶんと変わっていた。その中心にいる人間が変わるとそこに集う人もずいぶんと移り変わる。僕の知っている人はほんのごくわずかしかいなかった。

 

夜ごとにそこに集まって長いこと話してきたはずなのに、いまやみんなバラバラになって集まることもほとんどない。みんな、何をしてるのだろう。

 

大学生活の暇すぎて時間が無限にあるように感じたあの時に、僕らを結びつけていたものはなんだろう。音楽の趣味や会話のテンポ、人間や人生に対する価値観。そんな高尚なものだろうか。いや、そうじゃない。単に暇だったから。暇で退屈で、周りには精一杯大学生活をやりきろうと全力で生活してる大学生(いわゆる、リア充)がいて、でもあいつらみたいに生きるのは無理だって思ったし、べつにやりたいこともないからこうやって退屈な者同士、その時間を少しでもマシにしようと思ってそこに集まってただけ。

 

もちろんその時間が一切ムダだったなんて言うつもりもない。楽しい時間もあれば、本当に腹の立つ時間もあった。全く意味のないことでお互い笑い合うこともあれば、こいつは本当にすごいとおもって価値観を揺さぶられることもあった。

 

でも、もう誰もここにはいない。だって、もう分かり合えないし、もう分かり合う必要もない。そこにいる誰もが将来が何も分からないボンヤリとした単なる人格しか持ってなかったからあの時間は成り立ったのであって、それぞれの道を歩みだした今となっては互いに話しをすることの価値が相対的に失われてしまったのだ。

 

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大学1、2回生のことを考えてみる。あの頃は誰もが何者でもなかった。そりゃ大学中を見渡せば、随分前から人生を賭けてきた何かがある者もいたことだろう。でも、そんなやつはほんの少数で、みんな未来が不確定なただの大学生だった。何が正解だか検討もつかず、でも失敗はしたくないと思ってフラフラとあっちこっち行き当たりばったりに動いてただけだった。だから、オレはこれが好きだ、嫌いだ。これがしたい、したくないとお互い言いあうだけで十分だった。

 

でも、今は違う。みな、それぞれが「○○株式会社の××という部署で△△の仕事をしており、年収は???万円で@@に住み、実労働時間は一日?時間で休みは%%%という趣味を楽しんでいる」というような社会的記号を付与されて無意識のうちに社会に縛られている。

 

ここまで書いて、小学4年生の頃の友だちを思い出した。彼が親の転勤でいなくなってしまうまで、数年間、毎日飽きること無くお互いの家を行き来したものだった。そんな彼から少し前Facebookを通じて友達リクエストがきた。

 

僕は少し迷った挙句、そのリクエストも無視することにした。なぜなら、彼のプロフィールを見ると、聞いたこともない田舎の高校に通っていて大学に行っているかも分からなかったし、そもそも彼と過ごした1年か2年のことを殆んど思い出すことができなかったからだ。これまで生きてきた二十数年間の中で考えると、その年はさほど重要な位置を占めてはいなかった。だから、いまさら彼と友人になっても何も分かり合えないしお互い不毛だろうと思ったのだ。

 

 ついでに昔付き合っていた女の子との愛のやりとりを見つけたので、冷や汗をかきながら全部読み切って削除した。彼女は僕よりも先に就職したから、きっと僕に別れを切り出すとき僕が今感じているようなことを僕より先に考えたのだろう。

 

 

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

 

  

瀧本哲史氏の最新刊が「君に友だちはいらない」というタイトルで最近発売された。まだ買ってもないし、これから買う予定もないのだが、レビューを読む限り、「共通の目的に向かって邁進する組織作り」に関係する本のようだ。

 

きっと僕が大学生の時に馴れ合った「ともだち」の無用性を説いて、ゴールに向かって前進する「仲間」が君の人生をより良くする、とかそんな感じの内容なのだろう。

 

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そんなのクソ食らえ、と思う。けれど、そうした選択の結果にあるのが、この失望感なのだろう。結局、人間は孤独で僕は誰とも分かり合えないのだ。